編み物とピアノ
三十歳を過ぎてから、ようやく得られた力の一つが、身体を動かす・コントロールする能力。それは私の人生の革命だった。 子供の頃から身体を動かすことは、だいたいできなかった。運動神経が悪かった。
例えば、幼児期には縄跳びをしていたときに前方に倒れて鼻の頭を擦りむいた。(どうやったらそのように転べるのか?)幼い私は活発そうに見えたようで、友人からは「運動得意そうだよね。」と言われたが、見れば気まずく思うくらい全てのスポーツができなかった。人前で運動するのが嫌になって、学生時代の体育の授業をほとんどサボった。
編み物は小学四年生くらいのとき、母に教わった。すぐに編み方を覚えた。大人になってからも毎年冬になると編み物をした。子供が生まれると小物を編んで着せた。
ただ私は編み物も下手だった。編むために糸や針をどのように交差して引き抜くのかを知っていただけで、他のことは何もわからなかった。仕上がったものは、編み図どおりに編んであるが、編み図に添えられた写真とは全く異なる別の何かに見えた。下手だからと言って人に迷惑をかけるわけじゃないし、ジロジロ見て批評する人もいないので、気にせず編み物を楽しんだ。
そんな私も三十代に突入してから、身体を動かすことについて理解し始めた。頭のてっぺんからつま先までの、私が動かそうとすれば動く身体部位には「動かし方」があるというのをわかってきた。
これまでずっと「動かす」「止める」「弱い」「強い」「早い」「遅い」このくらいの、限られたコマンドから1つを選んで、自分の身体を動かしてきた。ゼロかイチの出力以外なかった世界が、出力の度合や方向など、細かいパラメーターによって刻まれ、動作をコントロールできるようになってきた。不思議な感覚だった。
手の力を抜いて編み針を持ち、糸が緩み過ぎないように、"適度に"糸を引き締める。何をどうしたら「適度」になるのかわからなかった。今は少しわかる。力加減だ。
編み物をわかり始めたのと同じように、パンを捏ねるのも、書道の筆を持つのも、ピアノの鍵盤を叩くのも、プールを泳ぐのも。三十を過ぎて改めて出会った時に、新たな発見が山ほどあった。
子供には発達の段階があり、ある年齢でできなかったことが、ある年齢を迎える頃には当たり前にできるようになったりするというのを、自分の子供の成長を通して感じてきた。それを見て合点がいった。私の運動能力は、人に比べて著しく発達が遅かった。三十歳頃に、ようやくそれを習得できるほどに身体感覚が発達したようだった。
編み物も、作りたいものが増えた。パンも前より少し美味しく焼けるかもしれない。子供時代はすべての動作がつまらなかったけど、遅咲きの人生も悪くない。自分の身体と生きる残りの何年か(何十年か?)を楽しみたい。